こんにちは。ご訪問ありがとうございます。
フィリピン生活を満喫中のカリパイ( @legendarykalipy)です。
ずいぶん前から気になっていたこの本。おそらく、フィリピンに興味のある人や、移住を考えている人なら一度はこの本のタイトルを目にしたことがある、またはすでに読まれているかもしれませんね。
カリパイは、先日ようやく読む機会があったので、今回はこの本を読んだ感想を簡単にまとめてみようと思います。
目次
『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』について
この本は、「日刊マニラ新聞社」の記者である水谷竹秀氏が、日本を捨て海外へ飛び出したはいいが生活に困り帰国することもままならなくなってしまった、いわゆる「困窮邦人」と呼ばれる日本人を追ったノンフィクション・ルポタージュです。ちなみに、第9回(2011年)開高健ノンフィクション賞受賞作でもあります。
現在、「単行本」「文庫」「Kindle版」で購入することができます。
この本を手にした経緯
この本のタイトルにもある「困窮邦人」という言葉を今まで知りませんでした。それで「どんな意味なんだろう?」と興味をもったのがきっかけです。
その後、アマゾンのKindleストアーで、文庫よりも安く買えることを突き止め、ポチりました。
購入したのは、つい最近です。フィリピンで暮らしていても本を購入できるので、Kindleは便利ですね。
この本の大まかな内容
日本でフィリピンパブにハマり、入れ込んだフィリピン嬢を追って、全財産をもち、家族や仕事を捨ててフィリピンに渡航した中高年の男性たち。
しかし、金の切れ目は縁の切れ目のごとく、全財産をだまし取られたのち、日本への帰国費用もないまま現地でホームレス状態(困窮邦人)になってしまうのです。
そんな彼らのフィリピンでの暮らしぶりや、そこへ至までの経緯が、取材を元に詳細に書き綴られています。
「フィリピンに困窮邦人が多いのはなぜか?」という問に対して、筆者の水谷氏は、取材を通して「フィリピンでは、困った人を助けるのは普通のこと」というお国柄・国民性に理由があるのではないかとの考えに至っています。
また、水谷氏は、転落人生を歩む困窮邦人の彼らは「日本を捨てた」のではなく「日本に捨てられた」のではないか、とも自問自答しています。
困窮邦人となった彼らを、「そのすべてが自己責任であり自業自得だ」と言い切りたい面と、「彼らがそうせざるを得なかったのは、日本社会に構造的な問題があるのでは」という2つの考えに対しての葛藤がうまく描かれています。
この本の終わりでは「彼らが日本を捨てた」と自問自答を抑えようとして、筆がまとめられています。
この本を読んで思ったこと
なぜ冷静な判断ができなかったのか?
この本に登場する人物たちは、いわゆる「ダメ人間」といわれてしまうような人たちです。「若いフィリピーナ」にぞっこんラブ状態。あと先考えず、家族や仕事を捨てて日本を出てきてしまっていますから。
正直、他にも選択肢や方法がなかったものかと疑問が残ります。「恋は盲目」と片付けてしまうのは簡単ですが、この場合って「恋」なんでしょうか。
もし本気で恋をしているのであれば、もう少し堅実な見通しを立てる必要があります。
好きになったフィリピーナの素性や、移り住む予定のフィリピンについて、しっかりと情報収集すべきです。
それと、いきなり完全に移り住んでしまうのではなく、まずは試しに1か月ほど暮らしてみるのも1つの手です。彼女の家族やフィリピンの文化について、実際の暮らしの中で気付くことが必ずありますから。
しかし、この本に出てくる彼らは、それができませんでした。
そもそも冷静な判断ができる人たちであれば、困窮邦人になるようなことはなかったでしょう。まっとうな判断ができなかったには、何かしらの理由があったのかも知れません。それは、自分が彼らの人生を当事者として歩んでみなければわからないことです。
想像するに、日本での暮らしに何かしらの憤りを感じ、「新しい可能性にチャレンジしたい」という気持ちが、彼らの背中を押していたのではないかと考えます。
困窮邦人が一番多い国はフィリピン
この本の中で、「困窮邦人が一番多い国はフィリピンである」という記述があります。
日本外務省の海外邦人援護統計によると、2010年に在外公館に駆け込んで援護を求めた困窮邦人の総数は768人。中でもフィリピンが332人と最も多く、2位のタイ92人を3倍以上引き離して独走状態にあり、2001年から10年連続で最多を記録している。数だけで言えば、フィリピンだけで全体の約43%と半数近くも占めていることになる。つまり、海外で困窮状態に陥る日本人の2.5人に1人がフィリピンに滞在しているという計算だ。
水谷竹秀. 日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」 (集英社文庫) (Kindle Locations 177-182). . Kindle Edition.
近年だと、世界を旅するバックパッカーが旅先で盗難や事故に遭い、資金が底をついて旅を続けられず困窮状態になるという話も聞きます。
しかし、なぜこれほどまでにフィリピンでの困窮邦人数が多いのか。フィリピンにおける困窮邦人の場合、バックパッカーの例とは異なる理由があります。
それは、女性への入れ込み。
日本の何もかもを捨てて、追いかけたくなる魅力を彼らはフィリピーナに見い出したのです。
若いフィリピーナがなぜ中高年の男性の相手をしているのか?純粋に愛や恋の関係もあるでしょうが、多くの場合、彼女たちにとって、日本人は最高のスポンサーだからです。
日本ではだれにも相手にされない男性が、なぜフィリピーナからはもてるのかなど、考えてみればとても簡単な話です。
困窮邦人となった彼らに関わっていた女性たちの目的は「お金」です。
自己責任という現実
フィリピンには現在、たくさんの日本人が暮らしています。もちろん、日本人とひとくくりにいっても、様々な人たちがいます。そしてその多くが自らの意思で、ここフィリピンに住んでいると思います。つまり、自分の決断・選択によって暮らしているのです。
カリパイも例外ではなく、自分の意思でここへ来ました。ここでの暮らしにおいて、いろいろ問題があっても、最終的にはすべて自己責任です。自分で選んだ道ですから。
なので、自分にも「困窮邦人」になる可能性はあるわけです。困窮邦人になりたくてなっている人などいるはずがありません。ですが、事故や病気、犯罪の被害者になるなど、一歩間違えるとそうなってしまう可能性がある。考えてみると、怖いですね。
この本に出てくる彼ら困窮邦人に向けられる言葉は、厳しいものばかりでしょう。「女にのぼせあがった自分の責任だ」「自分の身勝手が招いた罰だ」などの声があがりそうです。
実際、彼らが日本大使館に助けを求めても、援助をすることは難しいそうです。せいぜい、家族へ連絡を取る手助けをしてくれるだけ。
「日本への帰国費用を渡せばいいのに」と思うかもしれませんが、そこに税金が使われることへの説明がとても難しいという問題があります。「女遊びをし、金が尽きたから援助してくれ」という人に、国民の税金を使うことはできないでしょう。
その結果、困窮邦人は、困窮邦人のままここフィリピンで生き続けるしか道は残されていないのです。
海外で暮らす上で必要な力
いくら貧乏でも、日々の生活に困っていても、自分の将来を前向きに考えられる状態であれば、「困窮」ではないと思います。ただし、なすすべもなく、ただ己の命のともしびが消えゆくのを何もせず待つだけの状態であれば、それはまさしく「困窮状態」といえるでしょう。
「貧乏だけど知恵をしぼって何とかしてやろう」と何かやることを見つけて、あきらめずに挑戦する気持ちを忘れなければ、0が1になるはずです。この心のスタミナがとても大切です。
これは自分一人だけではすり減らすことも多いでしょう。そこへエナジードリンクのような誰かの助けがあれば、スタミナを切らさずに歩き続けられるかもしれません。それは家族であったり、友人であったり、自身が属すコミュニティーだったりするはずです。
こういう環境を整えられる力が海外で暮らす上では本当に必要だと思います。環境は自分で整えるものです。運は自分で引き込んでいるんですよ。運がよかったのには訳があって、それは自分の行いのはね返りなんです。昔から「運も実力のうち」っていいますから。
日本でうまくいかないから海外で暮らす。しかし、現実は厳しく、海外で暮らすことの方がもっと難しいものです。そして、その結果に対しての周囲の声は「自己責任だ」となります。この責任を自分でとれること、かつ、文化の違いという環境に適応する力があること、これらが大切なんだと本書を読んで改めて気付かされました。
まとめ
フィリピンに在住しているカリパイにとって、正直、読後感はあまりすっきりするものではありませんでした。自分と同じ日本人が、同じくここフィリピンで困窮邦人として暮らしているという事実を知ったからです。
この困窮邦人問題。結局、だれの責任なんでしょうか。今のカリパイには「自己責任」という答が浮かび上がりますが、自分がもう少し年を重ね、本書に登場する人物たちと同じような年代になると、また違った答が出てくるかもしれません。
また、フィリピンで暮らしているカリパイとしては、ここで暮らす日本人のイメージが悪くなることはあまり嬉しくありません。フィリピンで暮らしているすべての日本人が、女に入れ込んで自分の好き勝手にやっているわけではありませんから。
ですが、同じ国の人間として、この問題に無関心ではいけないとも思っています。
なにか簡単には解決しそうもないこの問題ですが、この本を手にすることにより、いろいろな切り口でフィリピンについて考えるきっかを得ることができるでしょう。
ではまた。
初めまして、カリパイさんコルドバ月光と申します。
私が住むマクタン島にも複数の困窮邦人及び多くの予備軍が存在します。
彼らが此の地で果ててしまった時のことを考え、複数の友人達と常に彼らと関わりあいを持ち、情報を集めております。
しかし、当然では有りますが基本的には生活援助は出来ませんが道端で会えば、100P程度の子使いを渡すかカレンデリアで食事を御馳走する程度です。
バランガイへ行くとバランガイキャプテンやコングレスマンが「同じ日本人なのになぜ彼らを救わないのか?」とよく質問をされます、以前は自己責任等の説明をしておりましたが、彼らには理解されませんでしたので最近では、丁重なお礼を述べるに留めております。
何故ならバランガイホールでは日常的に貧困の人々やシニアに対し、様々な救済活動を行っているからです。
確かに私達が物心が付いた終戦直後の日本は貧しく繁華街に母に手を引かれて行けば傷痍軍人が溢れかえっておりましたが、多くの人々は当然の様に彼らの募金箱に募金していたのを覚えております。
日常生活用品は帳面を持参すれば商店で買い物が出来ましたし、米や醤油等が無くなれば隣近所で融通しあって生活が出来ましたし、朝起きれば煮炊きする為の薪の匂い等ノスタルジーな世界が此のセブでは健在です。
私達と同年代の爺達はこんなセブの生活に溶け込み現地の人々の心の優しさに包まれ、安住しているのではないでしょうか?
コルドバ月光さん、はじめまして。
コメントありがとうございます!
ブログ村経由でコルドバ月光さんのブログをいつも楽しく読ませていただいています。
>私が住むマクタン島にも複数の困窮邦人及び多くの予備軍が存在します。
先日、lapulapu-ODAさんのブログで困窮邦人に関する投稿を引き込まれるように読みました。
コルドバ月光さんはじめ、多くの日本人の方々がいろいろご尽力なさっている様子が手に取るように伝わってきました。
改めて、人との関わりの大切さを実感したと同時に、
関わる人たちもかなりのエネルギーが必要となるという難しさも、そこにはあるように思いました。
コルドバ月光さんのように、様々な切り口で情報を発信される方のおかげで、
自分を含め、セブで暮らしている日本人がいろんな情報・知識をキャッチできます。
今後もブログを楽しみにしています。
またよろしくお願いします!