月日の流れは早いもので、セブでの暮らしも3年目に突入しました。この2年間、フィリピンという国で、様々な経験を積むことができました。多くの人に出会い、多くのものを目にし、おそらく少なからず何かを失ってきたはずです。
今回の記事では、これまでの2年間を振り返ることにより、フィリピンの文化、フィリピン人などについて、みなさんにシェアできればと思います。
語学留学や旅行、またはビジネスで、フィリピンセブに行ってみたい、住んでみたいと思っている方に、この記事が少しでもお役に立てれば嬉しいです。
また、ここで紹介することは、あくまでもカリパイ自身が実際に経験したことを基にしています。10年、20年と暮らしていると、また違ったものの見え方がするかと思います。あくまでも2年間の自身の経験からの話であることを留めておいてくださいね。
フィリピン「セブ」について
温暖な気候が育む文化
フィリピンには、日本のような季節の変化が少なく、一年中温暖な日々が続きます。しかし、全く変化がないということはなく、フィリピン人の言い方を借りると「夏と雨季と冬とその他」があります。
3月から5月あたりまでは夏、つまり一年の中で最も暑い時期になります。新学期が6月から始まるので、この時期はサマーバケーションと呼ばれています。いわゆる夏休みですね。
6月から11月までは雨季になります。12月は冬。このときばかりは、「今日は寒いね」という挨拶がフィリピン同士の間で飛び交ってます。寒いって。気温25度ぐらいですけどね。1月から3月までは「その他」で、特別暑くはありませんが、雨が降ることも多いです。
まとめると、明確な「四季」はなく、「乾季と雨季」に大別することができます。
このような温暖な気候のため、外で一晩寝ていても凍え死ぬことはありません。バナナやマンゴーなどの果物が一年中実っています。魚介類も一年中捕ることができます。つまり、最低限の暮らしをする上では、食べものにも困ることはありません。そうです。「何かに備える」必要が全くありません。
日本の場合、「冬」に備える必要があります。古くは、この寒い季節、作物が育たない時期をいかにして乗り越えるかが最大の課題だといわれていました。つまり食料の確保です。世界的に見ても、寒い季節がある地域の国と、年中温暖な気候の国とでは、物の考え方や、生活様式に大きな違いが見られます。
- 「ある」国:計画的・合理的に物事を進める
- 「ない」国:計画という発想があまりなく、場当たり的に物事を進める
寒い時期がなくても、年中とても厳しい暑さの地域は、すこし状況が違うかもしれません。
ここで言いたいことは、気温の変動が生死に関わない地域では、人々がのんびり、ゆったり暮らしている傾向があるのではないか、ということです。フィリピン人の行動を見ていると、これはピッタリ当てはまります。基本、誰も急いでいません。
なぜフィリピン人は時間にルーズなのか?
以上のことから、そのメカニズムは、ズバリこのようになります。
計画性がない → 予定・期日という発想がない → 時間にルーズ ( 誰もそれをとがめない)
これぞ、温暖な気候が育む文化の代表的な一面です。ちなみに、自分が知り合ったフィリピン人の多くは、誰かを待たせることは全く気にしませんが、自分が待たされることをものすごく嫌がります。単なる自分勝手か!って思いますけどね。
広がる格差
セブ市内には、大型のショッピングモールや、オシャレなレストランなどがたくさんあります。また、日本食レストランも数多く開業しています。日本人としては、利便性が高まり、快適で過ごしやすくなってきていると言うこともできます。
当初は一部のフィリピン人富裕層と日本人しか訪れていなかった日本食レストラン、特にラーメン屋に、近年では、どんどん一般のフィリピン人が押し寄せてきていると聞きます。
一見、フィリピン人が豊かになり、いわゆる中間層が増えてきているととらえられがちですが、実際はどうなんでしょう。
2017年4月現在、セブにおける一日の最低賃金は353ペソです。大多数のフィリピン人は、この条件以下の賃金環境で働いているのも事実です。ラーメン一杯の値段は、彼らの一日の稼ぎを越えています。
大型ショッピングモールで見かける、服装もきちんとして、外食を楽しんでいるフィリピン人と、その日の生活費が100ペソ以内で家族7~9人で暮らしている圧倒的多数のフィリピン人。
ここに、大きな格差を見て取ることができます。
貧困から抜け出せない構造
貧乏な家庭に生まれ育った子どもは、大人になっても貧乏なままです。貧乏なため十分な教育を受けることができず、その結果、稼ぎのある仕事に就くことができないからです。貧乏の無限ループが、大多数のフィリピン人家族に根付いています。
ここでもし、兄弟の中の一人が「オレはこの生活から抜け出すんだ!」と強い気持ちでがむしゃらに頑張り、いい仕事を手に入れたとします。すると、その子に、家族のすべての支払がのしかかります。その子の収入を頼り、他の兄弟姉妹は以前と変わらず何もしない、ということは日常茶飯事です。
フィリピンで多くの人が信仰している宗教の考えでは、「富をもつ者がもたない者を助ける」とうたわれています。逆に言えば、施してもらって当然という考えが、何の違和感もなく定着してしまっているのです。
治安
メディアで大きく取り上げられている、麻薬撲滅を目指したドテルテ大統領の超法規的措置。事実、これまでに多くの麻薬売人や麻薬使用者が逮捕・殺害されています。
ここへ来て、ドテルテ大統領が大量殺害に関して国際刑事裁判所に告発されましたが、この動向にも注目です。
ドゥテルテ大統領を比弁護士が国際刑事裁に告発 麻薬戦争による大量殺害 #ldnews https://t.co/n2gUnxGG6b
— フィリピン情報by伝説のKalipay (@legendarykalipy) 2017年5月2日
しかし、なぜここまで多くのフィリピン人が、麻薬に手を染めてしまっているのでしょうか。
ドテルテが大統領に就任する以前の話ですが、ある日、カリパイがタクシーに乗った際、運転手との何気ない会話から「麻薬が欲しければ俺に連絡してこい」と誘われました。聞けば、かなり安価に入手できるとのことでした。
この状況、つまり、誰でも手軽に手を出すことができる状況が、麻薬の蔓延を生み出してしまったのではないかと考えます。特に広がっているのは貧困層です。麻薬を買うお金が欲しいために、盗み・詐欺などの犯罪に手を染めてしまう、正に負のスパイラル。「麻薬こそが諸悪の根源だ」とするドテルテ大統領の政策は、問題の核心を突いていると言えるでしょう。
また、フィリピンは銃社会です。これまでにも多くの外国人が銃によって命を落としています。危険な地域では、日中でもホールドアップがあります。一般の日本人が、普通に生活している分には、それらの犯罪に巻き込まれる確率はかなり低いです。被害に遭っている方々は、利害関係のこじれ、危ない地域へ出向く等、「現地で目立っている人」と言うことができます。
セブはマニラに比べれば治安が良いとよく言われていますが、これは一概に言えないと思います。危険かどうかは自分の行動に寄るところが大きいと考えるからです。
理想と現実のギャップ
みなさんが思い描く「セブ」とは、おそらくこのようなイメージかと思います。『フィリピン・セブ』で検索すると、「南国のリゾート地、セブで優雅に過ごそう」などのキャッチコピーをよく見ます。
現実のセブは、こちらです。セブ市内には美しいビーチはありません。アジア発展途上国の様子そのものです。市内の道路は常に車で埋め尽くされ、解決の見通しが全くもてない渋滞地獄が待ち構えています。車からは相当量の排ガスがまき散らされ、たちまち肺が苦しくなります。
慢性的な渋滞を引き起こしている原因の一つが、このジプニー。市民にとっては欠かすことのできない公共交通機関です。日本で現役を引退した大小様々なトラックが、一度解体された後、フィリピンへ上陸。その後、組み立て・ハンドルの打ち換え(フィリピンでは右ハンドルは違法)が行われ、ここでは、バリバリ現役で稼動しています。
ジプニーからはき出される黒煙ファイヤーは、これぞ環境汚染と呼ぶにふさわしいほど、ひどいものです。
また、ダウンタウンに一歩足を踏み入れると、沢山のストリートチルドレンに遭遇します。彼らのほとんどが学校教育を受けておらず、毎日その日をいかにして過ごすか、必死に生きています。こういった子どもたちのための保護施設もありますが、多くの子どもが途中で施設から逃げ出してしまうそうです。そして、犯罪に手を染めていってしまう・・・。
日本から観光で来た人から見れば、「まぁかわいそう」の一言で済んでしまうかもしれませんが、本当に根の深い問題です。
カリパイも日常の生活において、毎日のようにこういった子どもたちに出くわします。「お兄ちゃん、パンを買いたいから1ペソちょうだい」と迫ってきますが、基本的に、お金を渡すことはしません。お金は働いて稼ぐものという考えからです。ごくまれに渡すこともありますが、その際は必ず「ありがとうは?」と声を掛けます。「サラマット、クヤ」(ありがとうお兄さん)と言えた子どもには、笑顔で答えるようにしています。
フィリピン人との付き合い方
セブの人たちは、基本的にみんなノリがいいです。
歌を歌いながらレジ打ちをする店のスタッフ。どこからか音楽が聞こえてきたら踊り出すジプニー待ちのお兄ちゃん。カメラを向けると、思いっきりカメラ目線でポーズを決めるトライシクルのおじさん。
もちろん、国柄だけで人を決めつけてはいけません。やはり大切なのはその人の人間性です。ですが、その人間性を育む環境が、ここフィリピンと日本ではかなり大きく異なっていると感じます。どちらが正しいのかという議論ではなく、そこに大きな違いがあるということです。
この違いを受け入れることができる人は、フィリピンで暮らすことに向いている人でしょう。逆に受け入れられない人、違いに我慢ができない人は、ストレスを溜める一方です。そういう人は、フィリピンで暮らすことには向いていないと思います。
そして、この違いは、場面によっても大きく受け止め方が変わってきます。
プライベート編
フィリピン人とのプライベートでの付き合い(友人関係)においては、「時間を守らない」「お金にルーズ」といったネガティブ要素を念頭に置きながらも、まだ、何とか最小限のストレスダメージでやっていくことができるでしょう。ややもすると「友人Aはいい奴だ」なんて感じることも、きっとあると思います。
メールの返事をこまめに返してくれたり、飲みの席では肩を抱き合って一緒に踊ったりしてくれる友人。「オレとお前は腹違いの兄弟さ」とまで言ってくれます。ノリのいいフィリピン人といると、こっちまで明るい気分になりますね。
また、食事に行った際、支払はすべて引き受けましょう。フィリピン人からすれば、あなたはお金持ちの日本人なので。
仕事編
仕事上の付き合いとなると、話が180度変わります。セブでビジネスをする際、多くの場合、顧客は日本の企業ですが、顧客が求めるクオリティとフィリピン人の働きぶりとの間には、絶望的とも言える開きがあります。ブリッジのような仕事をしていると、たちまちストレスでやられてしまいます。「たったそれだけのコストしか投入せず、そのクオリティを求めるなよ」といつも心の中で叫びたくなるでしょう。
- 遅刻は当たり前、雨が降れば欠勤
- 遅刻や欠勤の連絡を自分から入れられない
- ミスを指摘すると萎縮して次の日から出社しない
- ミスを認めない
- 指示をちゃんと聞かず・読まずに、自分の判断で処理してしまう
- 「わかった」と言っておきながら、全く理解していない
- 終わってないのに「終わりました」とウソをつく。
挙げればきりがありません。
「それじゃあ、日本式の働き方・考え方をしっかり教育しよう!」と頑張ると、まぁひどい目に遭います。その結果、多くの日本人が、志半ばで帰国してしまうのです。
もちろん、強力な資本がある大企業は別です。お金があれば、能力の高いフィリピン人を見つけ、雇うことができます。小さな会社では、そのような大企業には勝てません。結果、最低賃金クラスの能力の低いスタッフで何とかやりくりしていくしか道はないのです。
仕事上でフィリピン人と付き合っていると、フィリピン人のことが嫌いになる可能性が十分あります。
まとめ
フィリピンで暮らし、生活や文化を肌で感じた中から気付いたことをまとめました。
ここには、良いも悪いも日本にないものがあります。何よりも大事なこと、それは、「違いを受け入れられるかどうか」に尽きます。
そして忘れてならないのが、「自分たち日本人がこの国に滞在させてもらっている」という感覚です。ここは日本ではありません。他人の家にお邪魔するとき、その家の流儀に従うものです。
日々、ストレスを感じるのは当たり前です。ですが、それでも自分がやりたいこと、または自分の生き方に真っ直ぐ向きあえる人は、きっと、ここフィリピンで楽しく、充実した日々を送ることができるでしょう。
カリパイもそんな日本人の一人として、これからも全力で生きていきますよ。
ではまた。
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